徒然草
今日は久々に新幹線に乗りのんびり移動しております。
菅野です。
昨日もブログを書きましたが、ただ座ってるだけのドナドナ状態なので今日は音楽とはちょっと違う話。隣には生後5ヶ月くらいの子供を抱っこしたお母さんが、隣の僕に申し訳なさそうな感じも出しながら座っております。非常に混んだ車内。安心してください。僕は食品スーパーの中で騒ぎまくるクソガキ以外には非常に優しい人間ですから。
娘の受験で2人で移動してます。早いものです。
親父は久々に休みなので、流石にビールは煽ってませんが脳みそはリラックスした状態で休日を嗜んでいます。親がいきり立ったところで受験の役には立ちません。笑 娘も動画みてニヤけております。そう、今更焦っても仕方ないのだ。
俺がたしか25歳の時に誕生したと思う、長女である。2540gという保育器にギリギリ入らなくていい体重で産まれてミルクも上手く飲めず、過剰に丁重に育て上げた所謂宝物娘だ。これまで目立った反抗期も無く、二番目とは違く俺をお父さんと呼ぶ個人的に唯一立ち位置を確保してくれている娘でもある。ちなみに二番目は俺を「ヤス」と呼ぶ。強敵だ。
18歳になり、これから全入時代と呼ばれる手前の時代、オリンピックがこれから行われる首都圏に受験に向かっています。余談だが、我が母校でもあった高校、要するに娘2人が通う高校は、当時ひとクラスあった就職クラスというものは今は無く、就職をする高校生は2、3人だそうだ。誤解しないで欲しいのは就職が珍しいという話をしたいわけではない。進学する率の話である。子育てというものに大学、専門学校と言うものはもうセットで考えておく必要はある時代にもうなっている事は間違いない。
日経平均株価は2万2千円台を基準に上がったり下がったり。バブル期と言われた時代の3万円代の時代には、流石に難しいかなといったところだが、我々の田舎とは違い投資で成り立つ都会では、軽い好景気気分は見え隠れしている事だろう。そんな都会に娘は、高速参勤交代よろしく出航するのだ。何故断定で事が進んでいるかと言うと、もうマンションは契約しているのだ。笑 よって、いかなる結果でも出航は決まっている。ヨーソローだ。
俺は幼少期は非常に手厳しく育てた。おそらく今時代のパパ達にはできないような厳しさで保育所が終わるまでは接した。やたらめったらに怒りつけていたわけではないので悪しからず。一定のルールの中での話である。
この世で一番怖いのは父親でいたかったからである。ご存知の通り世の中は厳しい。無慈悲で、卑劣な事が多い。こんなに教育が行き届いたこの国でもだ。三つ子の魂百までと言うが、何かの時に、指導という厳しさを植えつけておきたかった。それが正しかったのかどうかはわからないが、前述の通り、幸い目立った反抗期も無く、友達のような生活を今は送っている。手懐けたわけではない。笑
勉強、恋愛、身体の変化、所謂人生の様々な転換期、隠す事なく俺に報告してくれた。彼氏のお土産も一緒に選ぶ馬鹿な父親だ。笑
今でも覚えているが、震災の時は5年生だったので、6年生が終わる頃だろうか、仮設で暮らしている時の話。
ほとほと勉強する意味を失った娘が匙を投げた夜があった。割と子供は勉強の愚痴や、死にたい、終わっただのと平気で言うもので、そんな事に一喜一憂してる馬鹿な親もいないが、その日はなんとなく感が働いて雰囲気が違っていたので、ちょっと呼んで、仮設の玄関とは言えないアルミのサッシの外で、コオロギの鳴き声を聴き、煙草をふかしながら娘と2人2時間近く、なんで勉強をしなきゃいけない社会なのかお互いの考えを出しながら話し合った夜があった。あの日を境に、死にたいだのなんだのは言うものの、自制心は捨てず、手放しで今まで来た気がする。なんでこんな話をしたかというと、自慢したいだけだ。笑 いや、そうではなくて、親は、正解を求める育て方ではなく、自信を持って子供に接することが一番大事だという事。そこを言いたかったのだ。
俺はこの田舎に子供を置くつもりは無い。望むなら止めないが。当たり前だが子供もそれは望んでいない。本当か嘘か我が家は、俺で16代目くらいの家系らしいが、きっと俺で代は終わりだろう。ご先祖様よ、申し訳ない。
だが一度きりの人生、やはりこの狭い世界で終わるのは、何かが足りない。どうぞ荒波に揉まれながら、様々な人間模様、喜びや悲しみ、裏切りや救い、様々な経験をしてきて下さい。仕事もどうぞ好きな仕事を選んで進んで下さい。まだまだ世の中知らない事だらけだ。それは我々大人も同じだ。人間は欲を具現化した哺乳類唯一の失敗作だ。共にこの欲にまみれた世界で楽しく親子として暮らして行こうじゃないか。
こんな事は既に本人たちには伝えてあるので、今は静かに、保護者として同行させてもらっております。
隣の幼子がたまに俺を見ながら静かに眠っています。
賢い子供だな。よしよし。
お金が無いからと勉学を諦めさせたくない。これはどの親も同じ思いだと思う。だから親は身を粉にして働くのだ。例え1円のためにでも人に頭を下げて、お金を稼ぐのだ。どんなに宝物で育てても、自分が親になった時にはいろんな事に気づくだろう。だから一々教える事はもう無い。
読売新聞の勧誘だけには気をつけてな。
戦争と災害だけが気がかりだ。
カルト宗教が気がかりだ。
警察のご厄介にだけはならないように。
心配事は尽きないが、俺も大丈夫だったし、まあ、大丈夫だろう。このまま平和が続くように、願うばかりです。
連日の投稿で失礼しました。昨日の記事も、良ければ読んでみて下さいね。
合格の報告は、しませんので。いろいろな時代なのでそのへんはひっそりと。
まぁ、大丈夫でしょう。
あー。早くビール飲みたい親父の小言でした。
no sea,no life.
yasunori kanno
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