価値

 僕が初めてライブハウスに立ったのは30歳を越えてから。返しのスピーカーの意味も分からなかった。どっちが上手で下手かも。そんなの知らなくても音楽は作れたしライブはやれた。
 ささやいたら聴こえないのがライブだと思って、蔵づくりのウイスキーバーでカラオケマイクに向かってツイストアンドシャウトやロングトールサリーを叫び狂ってた20代。そんな男が35歳でライブハウスの建設に携わることになったのが8年前。
 今では、震災前、震災後というわけ方もある。10年ひと昔というが、まもなく東日本大地震も一昔前の話になるのだ。その昔、ライブハウスの無い町の話である。
 何故無かったのか。きっと採算が合わないからだろう。採算が合わないビジネスなど、やるものでは無い。家庭や家族をみすみす失ってもおかしくない。お金を稼ぐには、夢物語だけではダメなのだ。計画性と、生産性が必要だ。
交通の便も悪いし、CDショップも昭和の遺産。レンタルビデオ屋がメディアの中心であり、ロックバンドではなく、夜な夜な歌われる大人の秘めた恋物語の、残響のほうが町の色には合っていた。
でもライブの日だけは、店には立ち見ができるほど沢山の顔見知りが楽しそうに集まっていた。
そしてそのあと、そんな町は波に流され、新しい物で埋まり始めた町が誕生したのだ。そこにライブハウスも完成していた。
そして僕も、そこにいた。何故いたか。ただたまたまバンドマンだったからだ。

いろんな人に会って、支えられ励まされ、感謝の日々を送りながら月日は流れたが、いつの日か、人に疲れていた。電話が怖くなった。
頑張っても頑張っても、頑張れ頑張れと言われ続けた。過去にすがりたい時も未来を語られた。思い出に寄り添いたいのに、新しい動きを美化された。死んだ人の名前を出しても気づかれなかった。
めくるめく時間の中で徐々に、過去の自分は消えていった。思い出も、夢より遠くなり始めてきた頃。

 福島の事をずっと気にしていた。現状もよくわからず、コンビニでどこかに募金しながら、頑張って住んでて大丈夫なのかと心配していた。ホントか嘘かわからない情報の中で、僕は福島の事をずっと気にしていました。そんな町に、こないだやっとゆっくり行くことができました。8年もかかってしまいました。いわきや相馬には行ってましたが、何故か福島市には行けてなく、ただ気にしてるだけの、ただの奴やん。と、自分を思い始めてきた今、きっとなにかの思し召しかと思っています。

 初めて行ったその町には、僕がライブハウスを通して知り合った人たちが何人も迎え入れてくれました。声をかけてくれました。そんな繋がっている人たちが暮らしている街は、粛粛と時を刻み、寸分の乱れも無く時間が過ぎていました。古い建物に新しい目のお店が入り、若者があちこちに居て、地方の街でよく見る、あなたが住んでるその街と似た街。僕の思っていた福島市とは、ちょっとだいぶ違っていました。もし、この文章を読んでいる方で未だ福島市に行った事のない方は、どんなイメージでいますか。頑張ろう!とか、生きる!とか、そんな旗が見えませんか。僕はそんな先入観を抱いていました。だって、そんなところで暮らしているから。でも福島市は、とても静かでした。街が街としてたぶんさほど変わらず、動いていました。いいなぁ、って思った。そんな第一印象でした。
実際には多くの事を語らず過ごしていると思う。言ったところで、という気持ちすら生まれてくる気持ちもわかる。ちょっと行ってきただけで何がお前にわかるものか、という気持ちもあるが、きっとちょっとは、僕みたいな被災者にもわかるところがあると思っている。そういうことに、今はさせて下さい。いつか改めて行った時にでも、誰かとお話しできたらなと思っています。
 outlineに集まっていたバンド達は、みんな若かった。
ANTIFACE
THE GREENBACK
indischord
Gigantics


Giganticsは、大船渡出身でメンバーの1人は福島市在住でこのライブハウスでアルバイトもしている。僕よりもずっともっと色々知っている立派な後輩だ。
そしてそこで会ったバンドマン達は、歳こそ若かったが、技術も僕などより遥かに遥かに優れ、音楽性も洗練されていた。恨み節などどこにも無く、タイトでスタイリッシュな爆音を作っていた。最先端である。
光っていた。お客さんは徐々に集まりだし、僕はそこで福島のライブハウスを見る事ができた。感動だった。当たり前のような光景がちゃんと当たり前に成立しているのだ。カッコいいバンドマン達がステージに上がり、それを観ようとお客さん達が集まり、それに応えるようにステージの熱も上がり、空間が初めて一体となる。そうそこは、ライブハウスなのだ。人口比率で比べたら、彼らはおろか、僕なんかを知っている人はコンマ数パーセントかもしれない。でもその可能性だけでその空間は無限に成立するのだ。どう頑張っても酸欠にはならないだろうし、ライターにだってちゃんと火はつくだろう。前に齧り付きたければいつだって行ける。でもそこにいる人達の、好きな場所、恥ずかしがりながら遠巻きに見る姿でライブハウスは輝いていた。アーティストの汗が照明に輝き、マイクでは拾えない呟く言葉。掛け声。何度も言うがそこに恨み節は無かったのだ。素晴らしい演奏だった。表現の自由というアートしか無かった。
だから良かった。時間は刻々と進んでいるのだ。

街のほとんどを見てない僕が言う事だから、真に受けないで欲しい。僕はただ、自分がいる田舎を福島に重ねてみた感想を述べている。
被災地には、震災に関わる事で自分を誇張したい人は結構いる。それによって困っている人も結構いる。でも困っている人達は口にしないケースが多い。当事者であり、負い目も有るんだろうと思う。長い歴史の中の人間関係を伝って築き上げてきたものを、新しい価値などというもので簡単に変えようとする者、変わる事がいい事と偏った発想を、計画的に促す政治家もいる。大概は弱者が数の論理で負けるのだ。
僕らはインディアンだと思った2012年頃。ライブハウスには沢山の、少数派と言われるだろう人達の声が集まっていた。出会いや別れ、色んなドラマがあった事と思う。テレビカメラや学生のレポート取材は引っ切り無しだった。
時は経ち、日本のあらゆる所に震災が続き、間も無く東日本大地震も一昔前の震災となるだろう。
ステージに上がっている若者や受付の子など、きっと当時は小学生の高学年から中学生くらい。これから2、3年もすれば、当時一年生とか保育園の頃の人達がライブハウスのステージに上がって歌を歌ったり楽器を奏でたりし始める事でしょう。そうやって歴史は繰り返されていく。
僕らがこれから思うべき事は、彼らに変わらず生活があって元気で育った事。そこから放たれる表現が自由である事だと思う。
震災があって、日本は変わったか。いや、特に変わっていないだろう。虐待は増えたのではないか。ハロウィンの馬鹿騒ぎなどいつから生まれたか。振り込め詐欺。イジメ。パワハラ。殺人。
時代はどんなに大きな事が起きても、平穏が訪れるとともに訪れなくてもいいものまで始まってしまう。それが人間社会だ。
音楽を作る人にも色んな人がいるわけで、自ずと色んな音楽が生まれる。今回帯同してくれた仕立屋本舗も、僕はかなり独特な世界観の音楽だと思っています。
今回はヤスノが体調が悪かった事もあり、マサ君のソロと、仕立屋本舗というレアなライブを観れたのかもしれないけど、ヤスノの思いを思えば、福島へのライブをまたやる事にするのは当然の事であり、できればその時は僕もバンドスタイルで参加したいな。
 仕立屋本舗を今回誘ったのは、今ノリに乗ってるユニットだからだった。僕が動く事でいつもと違う景色を見せたいなと思った。なんだか偉そうだが、残念ながら44歳にもなり、あちこちに仲間だけはいるので、そこへ今のうちに落とし込んでいきたいのだ。ほんとは他にも声をかけていたけど都合がつかなかったので叶わなかったが、また次回も声をかけようと思っています。
 仕立屋本舗の2人、特にマサ君にはどんな景色が見えていたんだろうか。きっと次の地元でのライブは、新しい感覚を覚えたまま気持ちいいライブが出来ると思う。パワフルで且つ、歌を歌ってる事の嬉しさを感じさせてくれる2人のライブを、僕が少しでも違う角度の関係性を繋げてあげられたらと、これからも思っています。そんなのいいよ、って思う人もいてもおかしくない。それならそれで全然良いと思う。でも新しい出会いは、必ず新しい道が生まれます。なんというか、今まで生きてきた経験です。だからできる事ならそうしたいなと。他の仲間達も勝手に、そう思ってます。
そしてこれからは、むしろoutlineから仕立屋本舗にブッキングさえしてもらえたら僕は万々歳なわけで、阿部さん、よろしくお願いします。笑
 
フリークスで見る事ができた全てのアーティストのライブが輝いていました。安直に表現しているわけではなく、2日目特有の一体感や、フリークスに来たからこそ生まれた感情など、そんな感覚が音や光になって輝いていました。一人でも多くの人に見てもらいたかったのは事実。福島の人が来たからではない。若いのに、物凄いスキルと表現を持った人達ばかりが集まっていたからだ。ライブハウスは、新しい出会いを見つける場でもあるし、むしろそうである事が前提だ。未来を感じる事ができる。それすら未知数だ。故にビジネスにはきっと向いていないのかもしれない。
 ライブハウスという所には、お金だけでは計れない魅力が山ほどある。その魅力に取り憑かれたもの達が集まる場所でもある。
それは学生だったりもする。でもライブハウスという所は、あらゆる経費をかけて学生達に思いっきり音楽をやらせるのだ。もちろんチケットを売ってパンパンに入れば採算も取れるだろう。しかしそれは、確約できない。でもそればかり言ってたら何も育たないのだ。採算が合わなくてもやるのだ。それがライブハウスだ。だから大変なのである。でもそこに、笑顔や涙があるとその時、やって良かったと思える。だからどんなに大変でも続けようと苦労を重ねるのだ。東北ライブハウス大作戦がどうやって始まったのか、いよいよわからないで通い始める人が増えてきた今、もう一度、それぞれが考える時間を持っても良い時が来たと思っている。僕が何かの取材などにきっと話しているかと思う。このライブハウスがどんな思いから生まれたのかは、これから何年経っても忘れてはいけない。と。確かに代表者は居る。確定申告も経て、収入として年を越していることも、皆さんご存知だと思う。趣味でやっているわけではない。

でも気づいているとは思うが、運営は楽ではない。全国のライブハウスがそうだと思う。無くなったら、今まで観れたものはもう見れなくなるのだ。当たり前だ。
だから僕は少しでもチカラになりたいといつも思っている。沢山お金があるわけでも無いし、自分にミュージシャンとしての人気や実力が無いことはわかっているが、俺みたいな奴だって、辞めたら落とすものはゼロなのだ。だから思った事は全部やっているつもりだ。これからもやりたい。少しでもやりたいのだ。
震災が一昔前の話に間も無くなろうとしている。でも、福島の原発事故だけは、これから少なくとも何十年もかかって解決していかなければならない問題だ。昔の話にはこれからもならない。気の遠くなるような災害だ。それでも福島の人達は、しっかり生活している。それだけはしっかりわかった。確かに大熊町の辺りなどは、特別違う感じはある。感情論だけではなんともならない事はある。それは以前、高速道路から見ただけでも痛感できた。
もしかしたら、原発事故が解決する前にまた巨大な津波が来るかもしれない。我々陸前高田市でも、30mの津波が来たらなどと、途方も無いような話も討論会では出ることもある。そんな津波が来たら、もうどうでもいいわ、とも思ったりもする。とにかくキリがないのだ。内容は違えどそんな日々を、福島の皆さんも送ってきたと思う。
そんな街にも、しっかりライブハウスは根付いていました。そこに意味がある事は、間違いない。

長くなりました。
最後に、あなたにとってバンドマンて、どんな存在ですか。変わった風貌でとっつきにくいですか。金髪やタトゥーで、なんか怖いですか。すぐ喧嘩しそうとか、酒浸りとか、悪いことしてそうとか、そんなイメージはありますか。お年寄りや身体が不自由な人が何かに困っていたとしても、バンドマンは無視して通り過ぎるとか、そんなイメージありますか。
あなたの周りに、バンドマンは居ませんか。あなたの大切な人、彼氏彼女や旦那さん奥さんが、バンドや音楽をやっていませんか。会社の上司や同僚に、バンドマンは居ませんか。あの人のおウチに、じつはギターやベース、ドラムが置いてある事を知っていますか。身近にいるあの人が、何かを表現したくて楽器を爪弾いている事を、知っていますか。会社で寡黙に働いているあの人が、河原で人知れず歌を練習している事を知っていますか。子供達が楽器に興味を持っている事に、気づいていますか。


 音楽は不思議な生き物です。

震災の時、音楽は娯楽として止められた。そしてその後、人にメッセージを伝えるツールとしてフィーチャーされた。それだけ人間の感情というものは、常に心配性で不安定なのだ。同じ音楽でも多数派は脚光を浴び、少数派は首の皮一枚でやり続ける。どんなに思いがあっても、いい曲じゃなきゃ聴いてもらえない。音楽はあくまでもアートなのだ。思いだけなら口で伝えればいい。そこにメロディを載せるという事は、芸術の世界に足を踏み入れることなのだ。だから僕らは常にクオリティを求めなければならないし、結果も残さなければいけない。非常に非生産的で、非経済的だ。

僕もまだまだ頑張りたい。だから、これからもっと身近なスタンスでライブをやる事にします。その昔、町の酒場で歌っていたように、もう一回そこから始める事にします。できたての音源を白いCDに入れて、カウンターのあるところで始めたいと思っていました。お店の人が居たらそこはもう0ではない。そこから一人二人と広げられるように歌い始めたいと思います。そこが埋まらなかったらそのままずっとやり続けるし、そこが埋まる事ができたら、また次の事を考えよう。今はまず、続ける事だ。

縁や繋がりをウザがる人も、僕は責める気もしない。それで傷ついた事もあるだけに、むしろ僕も苦手な方だ。本当に気持ちのある人とだけ、打ち解け繋がっていたい。

あなたの周りにいるバンドマン達は、少なからず想いを表現する事に飢えてます。でも普段は無口でとっつきにくいかもしれない。でももしそんな人がいたら、一歩近づいてみて下さい。どんな思いを持っているのか、話してくれそうなら聞いてみて下さい。それがもしかしたら、あなたの抱えている思いと同じかもしれません。そしたら一度、その人の音楽を聴いてみて下さい。そこにはきっと、お金では計れないあなたの想いの先が、あると思いますよ。

1つの楽器には、数々の物語があります。

音楽とは、そんな見えない価値のある生き物だと思います。

no sea, no life.
wolk

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