誰そ、彼

誰そ、彼 〜ある秋の日の風景〜
 お昼に厨房の方から何のアポも無く食事に向かう。
昼食時の厨房は忙しくて、皆下を向いて料理を支度することに集中しているところにフラフラと向かう僕はあたかも寿司屋の息子の様。僕の場合、その厨房にトンカツを食いに行くのだが、そこはちゃんとした寿司屋である。
 これでも、忙しいお店の売り上げにさらに少しでも貢献しようという思いをちょっと抱きながらも、目的は話が大好きな恰幅のいい親父さんに顔を出すことと、陸前高田の面白い話はこいつに聞け、の代名詞ともいうべき食っても食っても太らない同級生の顔を見に行く、というか、厨房に遊びに行くのがそもそもの目的だ。
 しかしながらこの一家と親戚がひしめく厨房内のメンバーは、一様に話が好きでネタが冴える。
 忙しく手足を働かせながらも、同時に口もよく機転がまわるファミリーなのだ。たまに来ているなじみの客の秘めた話をする。旦那さんが席を外すと、すかさずお母さんが旦那さんの愚痴をこの僕に話す。それがまたじつにストーリー性があって面白い。ここの息子である同級生が高校一面白い奴に君臨していたことは必然だったと納得させられる。兄貴はさらにその上をいくらしいが、なぜか兄貴は人見知りという。。そこがまた面白い。
 
 トンカツを食べていると同級生が刺身を「ほれっ」と言ってサービスしてくれる。夕べあいつと飲んだとかどこそれの息子が今度結婚するらしいとかあそこのラーメンはマズいとか、じつに他愛も無い話。外も見えない厨房の片隅だが、そこは我が家のようにじつに落ち着く。
 「お茶と珈琲どっちがいい?」とお母さん。気がつくとランチタイムの喧騒も過ぎ、なぜか僕を囲むように厨房は話が弾む。ちょっとお昼休みを延ばしたりしてみる。
 ふと、隣で夜の準備でもしているのだろうか同級生がコソコソと話しだす。
 
「こないださ、忙しそうな客がな。『なんでもいいからすぐできるやつください』っていうからざる蕎麦出したらさ、『ふー!ふー!』って吹いて食ってたんだ!」
『(大爆笑)』
「ところで今日飲みにいくか?」
「お。いいねー。」
「9時になったら迎えにきてけろ。そのほうが出やすい。」
「おれのせいか。。笑」
「どこで稼いでた?」
「バイパスのあそこだ。なんだかまたレストランがでるらしいぞ。」
「はああ、もう飲食店はいらねーがなー。ただでさえ暇なのによ。」
「まあ、世の中どこも暇だからな。しょーねーな。笑」
「んじゃ9時な。『誘い』にくるから。笑」
「おう!待ってっから!!」
 痩せこけてるあいつはいつも威勢がいい。今日の面白い話も素晴らしかった。
笑いながら午後を迎えると疲れも少し飛んだ。
 
 外に出ると雲はすっかり秋の雲になっていて、鰯雲が空一面に飛んでいた。
近くのスーパーには病院帰りのお年寄りや、こんな人いたんだって思うような綺麗な人が駐車場に車を停めて銀行のほうへ足早に向かう。風邪なのか、小学生が早い時間にお母さんと手をつないで歩いている。先輩が車ですれ違ったので軽く会釈をする。じつによくある日常が心地良い。
 なんとなく秋の午後は日差しがモノクロに見えて、なるべく早く家に帰りたくなる。3時でも過ぎようなら西日のほうが強くなり、もはや就労意欲も無くなり、サンマでも焼いているのであろうか近所の台所から臭う誘いにさらに就労意欲が激減していく。
 友達の飲み屋の買い出しが今日も始まったらしく、昼間がなんとなく似合わない友達が手を振りながら仕入れに向かう。駅に向かい始める高校生。俺が親なら確実に車を横付けするであろう、手をつないで歩く高校生カップルがやたらと気になったり。その昔を思い返したりしてみる。

 今日は明るいうちに家に帰ったので、毎日留守番をしている犬を連れて近所の公園に散歩に向かう。さっきのカップルが公園のベンチに座っていた。「ワンちゃんかわいいー」と言ってる声を聞かないふりをしてビンビンに聞きながら何となく公園を2周してみる。幅の広い滑り台に登って愛犬を抱っこしながら、西の空を見るとすっかり夕焼けになっていて、隣接している市役所から帰る先輩などに挨拶しながら、「早く結婚したらいいのになー」などと後ろ姿を送る。秋の夕暮れは、じつに歩く人を絵にする。勝手に。
 
焼けるように空が一瞬だけ輝く。大してドラマチックな人生を送ってきてないのに、そこはかとなくいろんなことを考えてみてロマンチックになってみる。抱っこしている愛犬の温もりがとても心地良く、なんでかわからないような無名のストレスに、何とも言えない落ち着きを与えてくれる。このまま時が止まればいいのになんて思ったりもしてみる。生を意識してみたり、死を意識してみたりしてみる。
 
気がつくとあのカップルはとっくに居なくなっていて、遠くから、散歩に気づいたカミサンと子供達が手を振りながら走って向かってきていた。欲の欠片も無い、幸せを見ていた。時が止まればいいなんて、一瞬思った自分を恥じた。

おうちに帰ろう。

幅の広い滑り台を走り登ってきた子供達に負けないように、ヨーイドン!で滑り降りた。

*誰そ、彼(誰彼時)
薄暗いので人の顔の見分けがつかない時刻である。
人の顔の見分けがつかない時刻には黄昏[誰彼]時(たそがれどき)というのもある。これは「暗くなってきて顔の区別ができないので誰そ彼、つまり、おまえ、は誰かと尋ねる意味

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